2008.2.16

朝、目が覚めてすぐ、ラサへのチケットを探しにユースの目の前の広州駅に。駅前の広場には、昨日よりもさらに多くの人が、列車のチケットを求めて長蛇の列を作っていた。
駅の外壁に取り付けられた馬鹿でかい電光掲示板は、各地に向かう列車の時刻と空席の数を表示していた。見る限り、どこに向かう列車もほぼ満席のようだ。これは、ラサ行きの列車は数日待ちかなあ…、となかば諦めていたところで、電光掲示板の表示が次に切り替わる。ラサ行きの列車だ。今日、16日は、と。
…!?
目当ての硬臥が残っている!!! *1 これは運が回ってきたぞ! 因みに、17日は硬座と軟座がいくつか残っているだけ。それ以降は満席。流石に全2日半の旅路を座って行くのは辛すぎる。
便名と行き先を急いでメモ。それから「硬臥、上」と書いて急いで窓口へ。そこら辺をうようよしている公安に目を付けられないよう、目立たないようにひっそりと列に並んで待つ。順番がきたので、あらかじめ電子辞書の発音を聞いて練習した通りに「ラサ」と言ってメモを見せると、チケットは思いのほかすんなり買えた。*2今までが嘘のように順調。早起きは三文の徳かね。難を言うなら、ラサ着が21:00だって事なんだけれど。まあ、着いてしまえば何とでもするさ。残る問題は、乗車時のチェックと、それから車内で日本人だとさとられずにラサまで辿り着けるかどうかの二点。出来る限り、誰とも話さないようにしなきゃいけないな。つまらない60時間になるけれど、仕方ないか。
列車は13:07に出発。幸い、乗り込む時は問題なし。大人しく三段ベッドの一番上によじ登って*3、一日中、本を読みながら過ごすことにした。

*1:長距離列車には席の種類が四種類くらいあって。硬座(2等座席:長距離だと死ぬ)、硬臥(2等寝台:三段ベッド。狭いけれど、硬いって程じゃない)、軟座(1等座席:快適シート…でも長距離は流石に辛いと思う)、軟臥(1等寝台:見果てぬ夢)

*2:実は、外国人がチベット自治区に入るにはパーミションってのが必要で。中国の旅行社に高い金を払って代行してもらわなきゃ、それは取れないんですけれど。まあ実際のところ、僕を含めた多くのバックパッカーは、おっと誰か来たようだ…

*3:三段ベッドの一番上は、天井が近くて窮屈なんですけれど。少し頭に余裕がある一段目のベッドは、昼間、皆の椅子代わりになっちゃうんですよね。二段目はサンドイッチで嫌だし。結局、人に顔を見られにくい三段目が、今回の旅ではベストなわけです。毎度よじ登るのは、大変だけれど。

2008.2.15 (2)

中国。どうやら、着いたらしい。乗客が全員ぞろぞろ降りて行くのに従って、僕も列車を降りた。駅は人気がなくて、ただっぴろい。途中、軍人達が隊列を組んで行進していた。嫌な感じ。本当に中国に入ったんだな。


パスポートとビザをチェックされ、無事通過。とりあえず駅から出てみる。…ただっぴろい。というか何だか荒涼としているな。や、大きな建物もあるにはあるんだけれど…何だかまばらだし、さびれてる…。
…? ここが本当に大都市、広州なの?
何はともあれ、人民元を調達することに。銀行を探すんだけれど、これが全然見当たらない。仕方無しに、ケータイショップの店員に尋ねてみることに。案の定、英語は通じなかったので筆談。漢字って便利だよな。あっち!、と指差してくれたので、礼を言ってそちらに向かった。
言われた方向の路地には確かに銀行が沢山あって、しかしもう遅いからだろうか、皆閉まってる! 歩き回って何とか閉店間際の商社用(?)銀行に滑り込んだ。受付の人に「香港ドル人民元に換金したいんですが」と言うと、窓口の中のおじさんとおばさんたちは顔を見合わせて、何やら相談し始めた。しばらくすると、皆、自分の財布を覗き始める。どうやら、ここでは本来、換金はやってなかったらしい。それでも、何とかポケットマネーをかき集めて笑顔で換金してくれた。何だろう、僕は最初、中国っていうと反日のイメージ*1がどうしても強くて、無意識の内に構えてたんだけれど。そんな自分の矮小な先入観が、馬鹿みたいに思えた。親切な銀行員の人達に深く礼をして、駅に戻った。


嫌な予感は的中で、降りる駅を間違えたらしい。とんだ失態だ!
いずれにせよ、広州まで行かないと話しにならないから、行き方を調べなければ。しかし、駅員も誰も彼も英語が通じない。付け焼刃の中国語と、筆談を駆使した結果、歩いてすぐの別の駅から広州までの電車が出ているらしい。空が暗くなってきた。早めに行動しなくては。移動移動。広州東駅までの切符は50元。高くついたな。でもさ、親切な人達に出会ったおかげで、自分の中の馬鹿みたいな先入観を払拭できたことを考えれば、安い勉強料だったって思えるんだ。


本物の広州東駅は、やっぱり都会だった。改札を出たところにあるATMを見て思いついたのだけれど、クレジットカードがあるんだから、それでキャッシングすればいいじゃん。銀行には十分貯金があるんだから、借金にはならない。それにキャッシュカードの引き落とし手数料と、クレジットカードのキャッシング手数料って、確か大差なかったような気がする。それに何よりキャッシュカードの件で日本に電話して、また馬鹿高い電話料金取られるのが嫌だった。とりあえず、500元キャッシング。*2
懐が潤って、余裕が出てきたところでユースに向かった。真新しいメトロを使って広州駅に。地下から出てすぐ、大量の人だかり! 広州駅の前は広場のようになっていて、そこに運動会の時に立てるような簡易テントがボンボンボンとあって。こんな時間にもかかわらず、多分、1000人位の人がひしめき合っていた。旧正月帰省ラッシュだかららしい。とんでもない時に来たなあ。ユースは駅のすぐ近く、意外にあっさり見つかった。フロントで空き部屋を尋ねると、どうやら最後の一室らしい。シングルで一泊95元。うーん少し高いなあ。でもまあ、ラッキーか。
部屋は窓もない、殺風景な部屋だったけれど、清潔ではあった。シャワーを浴び、3日ぶりに洗濯。ぐっすり眠った。

*1:特にワールドカップの時とかの

*2:しかし、初めてのキャッシングで借りたのが人民元って…

2008.2.15 (1)

この日も、明け方近くまで部屋の人達と話し込み、昼前に起床。今日、香港を発つ。


まずは昨日ビザの代行取得を頼んだHISに。受け取って確認すると、ビザはパスポートに貼り付けるシールタイプだった。その足で、昨日の夜に宿で書き込んでおいた用紙を携え、広州までの列車チケットを買いに。カウンターで尋ねると、丁度今日の16:30に出発する便があるという。出発までおよそ4時間。駅までの移動に1時間かかるとしても、宿の人達にさよならを言うのに、十分な時間の猶予があるな。


宿に戻る途中、キャッシュカードが使えるようになっているか試す。が、…また弾かれた!!
これは大問題だ。お金が下ろせなければ、旅を続けられない! いや、まいったな…けどまあ、T/C も日本円もそれなりにあるし。明日にも路頭に迷うってわけでもないんだから。とりあえず広州まで行って、そこからコールセンターに電話をかければいいか。と、持ち前の脳天気っぷりを発揮して、気にしないことにした。最悪、本当に最悪の場合、香港→日本の復路チケットもあるから、野垂れ死ぬわけでもないしさ。


宿に荷物を取りに戻ると、例の謎の人と受験生がいたので、さよならを言う。謎の人は、「じゃあ、最後に一つ」と言って、今までの中でも、とびきり面白い話を聞かせてくれた。日本近代史の、闇について。歴史だとか経済だとか政治だとか、そういった話を僕が面白いと感じたられたのは、この人達との会話がはじめてだったかも知れない。もっと色々な話を聞きたかったな。多分、もう会うこともない人達。最後に、皆で写真を撮って、別れた。


ホンファン駅へ。思いのほか広くて、長距離列車のターミナルが中々見つからない。何とか辿り着いて電車に飛び乗った時には、発車5分前だった。ギリギリだ。香港ドル人民元に換金してる暇もなかった。けれどまあ、向こうに着いてからでも大丈夫だろう。列車が出発した。
これからの予定は、とりあえず広州東駅に着いたら地下鉄を使って、昨日調べたユースホステルに直行。次の日にはラサ行きの長距離列車を予約すること。

2008.2.14

結局、昨日も朝まで部屋の皆と話していた。それでも、何とか昼前に起床。


今日は単純に事務的な作業。
まずは、キャッシュカードのコールセンターに電話する。何やら不具合があったらしくって、それは解決したんだけれど。明日の朝には使えるようになっている、とのこと。
次にHIS香港支店に、ビザの代行取得を頼みに。日本人のスタッフが居た。対応はテキパキしていてるし、値段も地元のビザ代行会社と大差ない。明日の昼までには、発行されるとのこと。ついでに広州までのバスか鉄道の予約もしてしまおうと思ったのだけれど、生憎、ここではやっていないらしい。別のチケット会社を紹介してもらう。
そのチケット会社に。ビザがないとチケットは買えないとのことなので、とりあえず記入用紙だけもらっておく。
最後に、宿の人に教わった本屋へ。日本語の本を売っている本屋なんだけれど、何故だかここにあるパソコンは自由に使えて、インターネットもできる。明日には向かう予定の広州の情報を集めてく。


つ、疲れた…今日は、これだけで一日が潰れた。まあ、思い立ったが吉日精神で日本を飛び出すと、こういうことになるよね。まあ、日本で事務的な作業するよか面白いからいいけれど。
宿に戻って、共同スペースで煙草を一服していると、件の素性の謎な人が仕事(?)から戻ってきた。適当な中華料理屋で、一緒に夕飯を食べた。一昨日から、ずっとこの人の話を聞いてるけど、ますます底が知れない。歴史、経済、政治、軍事にわたる膨大な知識と考察。世の中には、時々とんでもない人がいるもんだな。


明日は、広州に出発。向こうでラサ行きのチケットを手に入れたら、そこからやっと旅の始まりだ。

2008.2.13

香港って町は、何だか独特なにおいに満ちていた。昨晩、空港から一歩出た瞬間からずっとにおってる。後から聞いた話では、料理油とタイ米と、漢方の混じったにおいなのだそう。
昨晩は、到着が20:00を過ぎる予定だったので、予め行き方を調べておいた宿にバスで直行した。ドミで一泊80香港ドル*1 …少し高いけどまあ、仕方ないか。熱い湯も出るし、割かし清潔。部屋は少し隙間風が入るけれど、毛布にくるまってしまえば、何も気にならなかった。
今回の旅の目的は香港じゃないので、テキパキ動いてビザを取り、数日中に抜け出すつもり…だったんだけれど、ドミの同室の人達が滅茶苦茶面白い人たちで。アメリカ留学を経て、今は香港大学に入るため勉強している人。京都から仕事で来た社会人で、人を笑わせるのがとても上手く、しかしその軽快なトークの中に時々極右発言が混じったりしていて気が抜けない人。2年前からバックパッカーとして放浪している25歳の世捨て人。そして歴史、特に近代史に関して、博識の度をはるかに超している、素性が謎な人物。初日は早めに寝ようと思っていたのに、彼等の政治や経済、歴史の話がとても面白くて、結局寝たのは空が白み始めた頃だった。


今日は、昼過ぎに起きて活動開始。とりあえず宿の周り、2km四方位を歩いて回る。ここは、やたら雑然とした町だ。商店街には小汚い食堂や市場やらが所狭しと並び、何故かその合間にローソンやセブンイレブンの看板が。けれど、日本のとは違って光らない、ただの色を塗った板だったりする。店内も狭くて、蛍光灯こそ明々と照っているけど、何だか雑貨屋を無理矢理コンビニに仕立て上げたような、そんな感じだった。
一方で、そこから一本隣の道はやたらと現代的な建物が並ぶ小奇麗な通りで、スタバがあったりもする。通りを歩くのは、これまたお洒落した若者達や、リッチそうな奥様方。遠くを見ると、高層ビルが乱立している。狭い土地で発展するためには、上に伸びるしかないものね。ただ、人に聞いた話だと、地震対策はお粗末にも程があるらしくって。もしも大きな地震が起これば、高層ビルのドミノ倒しショーが見られるよ、だってさ。それは少し見てみたいような気も…いや、まあ大惨事か。 夕飯は適当な屋台で、肉まんらしきものを食べて済ました。


そうそう、理由は分からないけれど、今日試してみたらキャッシュカードが使えなかった。これは大問題だ。今は日本円とT/Cがあるからいいけれど、この先キャッシュカード無しじゃ旅は続けられない。まあ、焦っても始まらないので、明日コールセンターに電話をかけよう。

*1:当時、1香港ドル≒16円

2008.2.12

もうじき飛行機が離陸する。
結局、出国の直前まで慌しかった。上海行きはどれも満席だし、中国領事館は旧正月どんちゃん騒ぎで休業、ビザも取れない。散々だったけれど、どんな時にでも迂回するルートはあるものだ。何だかんだで、香港まで行けば中国のビザがいつでも取れるらしく、更にそれが分かってから一週間内に、この時期なのに今日の香港行きチケットが手に入った。旅支度もほぼ済んだ。ただ、うちの大学の留学生、ホァン君に、彼の上海の実家で会えないことだけが残念。そろそろ離陸するようだ。今、滑走路を離れた。

香港に着いたらやらなければならないことを、記しておく。

  • ビザ申請
  • パスポートのコピーをとっておく
  • T/Cに署名
  • クレジットカードの緊急連絡先を調べる
  • 上海に帰省しているホァン君に電話
  • 中国語で必要なフレーズをいくつか憶える


どうやら、機内食が出るみたいだ。ラッキー!
前にタイ航空を使った時は、機内食が出るだろうからとご飯を抜いたら、見事に何も出なくて。あれは大ショックだったもんなあ。けれどまあ、あの時はそのおかげで食べ物を探しに行って、スチュワーデスさんと仲良くなれたんだけれど。(色々なスチュワーデス裏事情を教えてくれた)
機内食は焼きそばみたいなのと、デザートといった軽食。デザート、オレンジのゼリーだと思ってふたを開けたら、中身が粘性のない液体で驚いた。ゼリーじゃなくてジュースじゃんか、これ! 紛らわしい! 面白いからいいけど!

あの衝動を、僕は憶えている

高校生の頃、僕はずっと遠くに行きたかった。ここではない、どこか。

毎日はとても退屈で、僕を取り巻いていた小さな世界は、どうしようもなく下らなく見えて。いつも同級生と馬鹿みたいに笑って、気付かない振りしてたけれど。心のどこか底の方では、全てに本当、うんざりしてたんだよ。

僕は大学に行かないことにした。大学に入ってやりたいことなんて、1つもなかった。あの生活の延長線上に、僕はどうしても立ちたくなかったんだ。未練なんて、これっぽっちもなかった。

高校卒業と同時に、僕はフリーターになった。毎日、朝から晩まで、ひたすら働いた。そうして貯金が貯まると、バックパックを背負って2,3月間、どこかを放浪した。帰国すると、またバイトに打ち込み、その繰り返し。

ただ遠くに、行きたかった。フランス、スペイン、モロッコ、インド、オーストラリア…。はじめて見る世界。色んな人にも会った。数ヶ月の旅は、しかし、僕にとって一瞬だった。今思えばこの頃の旅は、結局、自分と向き合うためのものだったように思う。記録もつけず、いつもぼんやりと何かを考えていた。現実から離れた非日常の世界が、他のものから切り離された空間が、あの頃の僕には必要だったんだなと今は思う。そうして高校を卒業してから、フリーターになってからの3年後、僕は大学に入ることに決めた。自分が何を求めているのか、それをようやく理解したように思えたから。



しばらくして、大学に入ってから2回目の春休みに、僕はまた旅に出た。昔のような強い衝動はもうなかったけれど、あの残像のような、残り香のようなものが、僕の中には染み付いていて。けれど、この旅は、フリーターの時のものとは少し違っていた。色々な人が、物が、風景が、目に入るようになった。きっと以前は、自分と向き合うだけで手一杯だったんだと思う。そして、記録をつけるようになった。



だから、この場所にその記録を残しておこうと思う。フリーターの時のはもう書けないけれど、まずはこの前の旅のこと。それから、これから先、きっと行くであろう旅の記録を、ここに残していこうと思う。